1998/09/14

サラリーマンプログラマ

そもそも最初に私がコンピュータと出会ってしまったのは小学校卒業間近の頃でした。その後中学校の頃から、10年以上、ソフトウェアを作るという作業にはまり続けています。もともと工作など、もの造りが好きだった私にとってのプログラミングとは、創作活動にほかなりません。あくまで創造的な作業でありたいと考えています。

96年に現在の会社に入社した時、会社員としてのプログラマという職業が、必ずしも自分のビジョンに合わないということは、既に承知していたことです。それにも関わらず入社したのは、将来どう進もうと、サラリーマンとしての経験は必ず有益になると考えたからです(実際、考えたとおり、有益だったと思います)。それにいきなり社会に出てすぐ自由勝手なことをする勇気も、もちろんありませんでした。入社当初から独立を前提としていたわけではありませんでしたが、「3年」を目処に、次の「進路」を決めることを、自分の中で目標として決めていました。その時点で考えていた「進路」には、「引き続き会社に残る」、「他の会社に移る」、「独立する」、などを想定していました。どちらかと言うと、独立は、3年後の、その次のステップと考えていたので、当初はあまり考えていませんでした。なんにせよ、そういった目標があったから、ここまで頑張ってこられました。

現在の会社では、それなりにやりたかった仕事に従事していますし、十分充実しているとも言えます。学生の時には得られなかったスキルも得ることができました。これは、ラッキーだったとしか言いようがありません。会社側が私の希望を取り入れて今の仕事をくれたことにも感謝しています。そのため他の会社に移ったところで、メリットはあまりないと思うようになりました。しかし会社員である以上、いつまでもやりたい仕事ばかりできるわけではありません(もちろん、会社員でなければやりたい仕事ばかりできるのかといえば、そうではないでしょうけど)。

何より嫌なのは、いつか出世して管理職になってしまうことです(と言っても大分先の話なので、その時には考えも変わっていることでしょうけど)。私がやりたい仕事はプログラマであって人の管理ではありません。また、管理職クラスの人はSEという肩書きを兼ね備えている場合も多いですが、当然過去のプログラマ経験者です。プログラマを卒業してSEになった人たちは、ソフトウェアを設計しますが、過去の知識しか持ち合わせていないので、ことWindows系の技術革新が目覚しいプラットフォームでは、現役のプログラマが設計するものより酷いものとなってしまうことがあります。そういうSEに私はなりたくありません。もちろん会社がそれを推奨しているわけではないにせよ、実質的に「SEになったらプログラミングの勉強はしなくても良い」というような明らかに誤った雰囲気が、いやでたまりませんでした。学習意欲がなくなるのは技術者として終わりだと思うわけです。

会社は頼れるのか

年をとると学習に対する熱意が冷めるのでしょうか。そう考えることもできるかもしれません。しかしそれだけではないと私は考えます。会社というバックボーンに対する甘えがそうさせているのではないでしょうか。つまり、多少手を抜いても、自分に直接返る結果は変わらないし、積極的に勉強してもそれに対する見返りがないから、最低限の無難なことしかやろうとしなくなるのではないでしょうか。それなら、いっそ頼れるバックボーンを捨てれば、やる気を失う恐怖から逃れられるはずです。

「言われたことだけやっていて、それで給料がもらえれば、それでいいじゃないか」と言う人もいるかもしれません。しかしこの業界では自発的に学習する熱意がなければ勝てません。もちろん管理職としてセンスがあれば会社で十分やっていけるのでしょうが、管理能力のない管理職や、知識のないSEはどうなってしまうのでしょうか。会社は本当に守ってくれるのでしょうか。

このような話は、私だけが感じた画期的な発見。というわけではなく、おそらく誰でも、同じような気持ちを抱いているのではないでしょうか。ではなぜ、それでも皆、会社から動こうとしないのでしょうか。私は、おそらく会社員には、不満を補ってあまるだけの価値があるからではないか。と思っていました。でも、ある人は「自分でやっていけるだけの技量や、辞める勇気がないからだ」と言っていました。確かに、年をとれば仕事に自信がつく反面、結婚でもしてしまうと、そうそう安定から不安定への移行の勇気は出ないのかもしれません(本当に会社に居れば安定していられるのか? というと前述したとおりで異論はありますが)。結局はよくわかりませんが、私は行動をおこしてみようと思いました。

「目標」を持たねばっ!

「人は何のために働くのか」と考えると、「生きるため」という答えが自然に出てしまいます。しかし、それでは嫌々働いてまで何のために生きるのでしょうか。そんなに重く考えず、もっと楽観的に考えれば「人は何のために生きるのか」、「それは働くため」。苦労があっても、好きな仕事をして好きなように生きることが、最も有意義な生き方なのではないでしょうか。

人が何かをするには、必ず目標が必要です。目標は、あるときは一ヶ月後の試験かもしれませんが、人生という最も大きな行動を考えたときにも、同じように目標が必要です。本当に目標を持たないで生きてる人がいるとすれば、一体毎日何を考えて生活しているのか私には不思議です。どのくらい自分で意識しているのかどうかには個人差があるでしょうが、誰でも何かしら目標を持って生きているのだと思います。しかし私は、会社員である限り、どうしてもただひたすら言われるままに働いてしまい、目標を持ちづらいと感じました。目標を見失った時に何か疑問に思ったりすることは、誰にでもあることだと思います。

私はここまで「社会人として、経験と技術を積み、3年間の間に次の目標を見つける」という目標を持ってここまでやってきました。この短期間で、十分な経験と技術が得られたかというと、まだまだ精進の余地がありますが、それでも、「次の目標」と「それ以降の目標の見つけかた」を得ることができたと思います。つまり、独立すれば、自分で次々と目標を立てて進んでいくことができるのではないかと考えたのです。

つまり、目標を立てやすい環境を作り、そして常に自分が目標に向かって進んで行ける環境を作ることが独立の最大の目的なのです。

やっていけるの?

「一人でやっていけるのか」と聞かれても「やってみなければわかりません」としか答えようがありません。やったことがないのですから。現在私は23歳です。社会的に信用を得るには若すぎるかもしれませんが、逆に、失敗しても何度でもやり直す体力はあると思っています。今でなければ、リスクが大きくなる一方ですし、やってみるなら今だと結論しました。だめならまたサラリーマンかもしれませんが、大学院に行っていればまだ学生という年齢ですので、なんとでもなると考えているのです。

実際には、以上述べたようなことは、所詮まだ社会人として未熟な私が思う理想論であり、誰でも同じ事を思っているのかもしれません。現実は独立したからと言って、やりたい仕事だけができるわけではないし、あるいは会社員をやっているほうが遥かに気楽で有意義な生活が送れるのかもしれません。しかし、「自分がやりたいと思ったことを、やる」以外に、理想に近づく方法があるでしょうか。じっとしているよりは、理想を追い求めて行動したほうが楽しい人生が送れるのではないでしょうか。

で、皆さん、色々な異論があるかもしれません。しかし、ここで述べたことが私の考えのすべてではありません。私自身もここで述べた意見が必ずしも正しいとは思っていません。この件に関しては、へたをすると、とてつもなく深い問題なので、私の考えも非常に複雑になっていて、すべてを書き連ねるのも難しいという感じです。